(原題:GUNDERMANN)分かりにくい映画だ。たぶんその理由は2つある。一つは観る側がドイツの戦後史に関して疎いこと。これは私だけではなく、多くの日本の観客も同様だと思う。東ドイツの秘密警察(シュタージ)の存在は知ってはいても、その具体的な活動内容となると、考えが及ばない。二つ目は、映画自体が分かりにくい構成を取っていること。本国の観客にとっては問題ないのかもしれないが、ヨソの国の人間としては辛いものがある。
ベルリンの壁崩壊に先立つ80年代。褐炭採掘場でパワーショベルを運転するゲアハルト・グンダーマンは、シンガー・ソングライターとしての顔も持っていた。彼は仕事が終わると、自作の曲をステージ上で仲間と共に披露していた。彼のパフォーマンスは評判を呼び、ボブ・ディランのドイツ公演の前座を務めるほどになった。ところが90年の東西ドイツ統一後、自身も友人もいつの間にかシュタージに協力していたということが発覚し、波紋を呼ぶ。本国での評価は上々で、2019年のドイツ映画賞(独アカデミー賞)で6部門を獲得している。
シュタージが介在した数多くの案件において、加害者と被害者との関係性がよく分からない。どういう者たちがどのような理由で密告に及んだのか、映画はほとんど説明しない。さらに、加害側のプロフィールは明らかにされているのに、被害者のリストは非開示という事情も詳説されない。また、映画は80年代初頭と90年代のパートに分かれているが、それぞれがランダムに配置されているので、観る側としては戸惑うばかりだ。
しかも、登場人物たちが年を重ねているように見えないのだから、さらに混乱する。たぶん本国では大道具・小道具の選択と配置等によって時制の移動は十二分に提示されているのだと思うが、観ているこちらは首を捻るしかない。
また、グンダーマンがその名を知られるようになったプロセスに関しても明らかにされていない。彼は炭鉱労働者でしかなく、最後までアーティストとしての凄味を出すことは無いのだ。また、肝心の楽曲も“悪くはないが、特に良くもない”というレベルで、求心力に欠ける。結局、印象に残ったのは主人公が働く露天掘り炭鉱の荒涼とした風景と、そこで稼働している巨大な重機類の存在感ぐらいだ。
アンドレアス・ドレーゼンの演出は堅実とも言えるが、くだんの時制の不規則進行により、あまり良い点は付けられない。主演のアレクサンダー・シェアーをはじめ、アンナ・ウィンターベルガー、アクセル・プラール、トルステン・メルテンといったキャストも、それほどの存在感は無い。