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Channel: 元・副会長のCinema Days
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J-POPよりも歌謡曲が好きである。

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 先日、仲間内で定期的に(年2回程度)催されているカラオケ大会に行ってきた。時によっては曲目選定に注意しなければならない(笑)職場関係のカラオケ会と違い、気の置けない連中が集まるので、どんな曲を歌おうが自由だ。しかし、どういうわけかこの会には“原則として、以前歌った曲を、再び歌ってはならない”という不文律めいたものが存在し、参加者は毎回新しいレパートリーを用意する必要がある(爆)。けっこうハードルが高いが、それもまた楽しい。

 当然私も今まで一度も歌ったことのない曲にチャレンジするのだが、オッサンの私としては自然と懐メロ中心になる。また、参加メンバーの平均年齢も高いので、古い曲のオンパレードだ。しかし、それではあまりにも芸がないので、一曲だけその年にかなり流行った若い衆向けのナンバーを取り上げることにした。だが、事前に練習しているうちに途方に暮れてしまった。なぜなら、その曲があまりにもつまらないからだ(かといって、他に気に入ったナンバーも見つからない)。

 とにかく、メロディが陳腐。歌詞も陳腐。アレンジが陳腐。面白くも何ともない。今の若い者は(←いやはや、年寄り臭い言い回しだが ^^;)こんなものを聴いて喜んでいるのかと思うと、暗澹とした気分になる。

 それに比べて、昔ヒットした歌謡曲や演歌の、何と素晴らしいことか。そして、何と歌いやすいことか。昨今のヒットしているJ-POPと昔のナンバーとの一番大きな差はどこにあるのかと考えると、第一義的には“作り手の(プロとしての)意識の高さ”ではないかと思う。ではその“プロ意識”とは何なのかというと、幅広い層に向けた平易な展開の楽曲を、精緻な技巧により提供することだと考える。

 特にこの“幅広い層に”という方向性が重要ポイントだ。歌謡曲は、老若男女にアピール出来るような(誰でも口ずさめるような)普遍性を持ち合わせていなければヒットは覚束なかった。そのために作詞家や作曲家およびアレンジャーは、プロとしての高い技量を要求されていたのだ。しかしJ-POPの作り手は“大衆”を視野に入れていない。限られた聴き手と、当事者だけの狭い世界観の中で、何の捻りもなく心情を吐露したような歌詞を並べればそれで採算が取れるという図式が出来上がっていると思う。

 そして、J-POPが“大衆”に対する普遍性を欠いていることは、音楽自体の方法論の範囲も狭められてゆく。早い話が、J-POPおよびその各ミュージシャンの支持者以外の層には、その楽曲が受け容れられないようになっているのだ。若い者の好む音楽の、どこが良いのか分からないといった認識は、何も世代の違いだけに収斂される話ではない。

 もちろん、J-POPの担い手の中には玄人筋を唸らせるような仕事をしている者たちもいるのだろう。だが、その楽曲がテレビのゴールデンタイムに流れることは無いし、ラジオのヘビーローテーションに採用されることも無い。

 さて、くだんのカラオケ大会にて取り敢えずは練習してきたその“新しめのJ-POPナンバー”を披露した私であったが、原曲のキーが思いのほか高く、ほとんど声が出ずに自爆した(大笑)。やっぱり、慣れないことはやるものではない。

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