85年作品。ストーリー展開はそれほど特筆できるものは無いが、大胆極まりないカメラワークと優れた人物描写により、見応えのある作品に仕上がった。相米慎二監督としても、キャリア中期の代表作と言っても良い。
迷子になった7歳の孤児・伊織は、親切な青年・広瀬雄一に救われる。やがて伊織は北海道の那波家に引き取られたが、そこで虐待を受けていたことが発覚し、雄一は彼女を保護して自分で育てる決心をする。17歳になった伊織の住む雄一のアパートに、那波家の長女である裕子が引っ越して来る。
アパートの住人たちによって開かれた裕子の歓迎会の後、彼女は自室で謎の死を遂げていた。何者かが毒を盛ったらしい。伊織は重要容疑者として警察にマークされ、家政婦からは“雄一は伊織がひとりの女として成長する時を待っている”と告げられ、大きなショックを受ける。佐々木丸美原作の「雪の断章」の映画化だ。
相米監督といえばワンシーンワンカット技法がトレードマークだったが、その手法は83年製作の「ションベン・ライダー」の冒頭“360度長回し”が最高傑作だと思っていた。しかし、本作の序盤はそれを超えている。何と“18シーンワンカット”だ。しかも、オールセットの風景で幻想的な雰囲気を横溢させている。改めてこの頃の相米の才気を感じずにはいられない。
さらにはヒロインの心境を鮮やかに表現する場面がいくつもあり、そのたびに感心した。たとえば裕子と再会して相手の容赦ない物言いに傷つきながらも、彼女の蠱惑的なインド舞踊に魅せられていくシークエンスは目を奪われる。伊織が服のまま川に入って泳ぐシーンを、ロングショットで捉えたパートも強烈だ。また、伊織が電話でのやり取りで雄一に向かって“偽善者!”と叫ぶ場面は、他の相米作品とも共通する人間不信のモチーフが見て取れる。
主演は斉藤由貴で、演技の幅の狭さばかりが感じられる昨今の彼女とは大違いの、瑞々しくもエッジの効いたパフォーマンスを披露していて圧巻だ。相手役の榎木孝明や岡本舞、寺田農、世良公則といった脇の面子も良い仕事をしている。五十畑幸勇による撮影も確かなものだ。なお、主題歌「情熱」は斉藤の歌唱によるが、いかにもアイドルっぽいその歌い方に“(尖がった外観にもかかわらず)これは一応アイドル映画だったのだ”ということに初めて思い当たる。80年代の邦画には、こういう意表を突いた(?)コンセプトの映画が少なくなかったようだ。
迷子になった7歳の孤児・伊織は、親切な青年・広瀬雄一に救われる。やがて伊織は北海道の那波家に引き取られたが、そこで虐待を受けていたことが発覚し、雄一は彼女を保護して自分で育てる決心をする。17歳になった伊織の住む雄一のアパートに、那波家の長女である裕子が引っ越して来る。
アパートの住人たちによって開かれた裕子の歓迎会の後、彼女は自室で謎の死を遂げていた。何者かが毒を盛ったらしい。伊織は重要容疑者として警察にマークされ、家政婦からは“雄一は伊織がひとりの女として成長する時を待っている”と告げられ、大きなショックを受ける。佐々木丸美原作の「雪の断章」の映画化だ。
相米監督といえばワンシーンワンカット技法がトレードマークだったが、その手法は83年製作の「ションベン・ライダー」の冒頭“360度長回し”が最高傑作だと思っていた。しかし、本作の序盤はそれを超えている。何と“18シーンワンカット”だ。しかも、オールセットの風景で幻想的な雰囲気を横溢させている。改めてこの頃の相米の才気を感じずにはいられない。
さらにはヒロインの心境を鮮やかに表現する場面がいくつもあり、そのたびに感心した。たとえば裕子と再会して相手の容赦ない物言いに傷つきながらも、彼女の蠱惑的なインド舞踊に魅せられていくシークエンスは目を奪われる。伊織が服のまま川に入って泳ぐシーンを、ロングショットで捉えたパートも強烈だ。また、伊織が電話でのやり取りで雄一に向かって“偽善者!”と叫ぶ場面は、他の相米作品とも共通する人間不信のモチーフが見て取れる。
主演は斉藤由貴で、演技の幅の狭さばかりが感じられる昨今の彼女とは大違いの、瑞々しくもエッジの効いたパフォーマンスを披露していて圧巻だ。相手役の榎木孝明や岡本舞、寺田農、世良公則といった脇の面子も良い仕事をしている。五十畑幸勇による撮影も確かなものだ。なお、主題歌「情熱」は斉藤の歌唱によるが、いかにもアイドルっぽいその歌い方に“(尖がった外観にもかかわらず)これは一応アイドル映画だったのだ”ということに初めて思い当たる。80年代の邦画には、こういう意表を突いた(?)コンセプトの映画が少なくなかったようだ。