(原題:COMO AGUA PARA CHOCOLATE)92年メキシコ作品。妙な映画で、決して幅広い層に奨められるシロモノではないのだが、不思議な吸引力はある。少なくとも“グルメ映画”としての価値は誰しも認めるところであろう。93年度の英国アカデミー賞において、外国語作品賞にノミネートされている。
19世紀末、メキシコ革命の頃。リオ・グランデ川近くにある農家の15歳の娘ティタは、ペドロという若者と相思相愛になり、婚約する。しかしティタの母親エレナは、末娘は親の面倒を最後まで見なければならないという家訓に則り、結婚を許さない。さらにはペドロにはティタの姉ロサウラを嫁に薦めるのだった。どうしてもティタのそばで暮らしたいペドロは、これを承諾してしまう。
ところが結婚式の当日、おかしなことが起きる。ウェディングケーキを食べた参列者が突然泣き出したのだ。そのケーキは、ティタが今は亡き家政婦のナチャのことを思って嘆き悲しみながら作ったものである。実はティタに、料理を通して自分の気持ちを人に伝えることができる不思議な能力が発動したのだ。こうしてティタは、予測不可能な人生を歩むことになる。
タマネギにまつわる冒頭のシークエンスから、ラテン・アメリカ文学や映画が得意とする伝奇的リアリズムの雰囲気が充満する。料理が持つ力を描いた作品としてはガブリエル・アクセル監督の傑作「バベットの晩餐会」(87年)を思い出す向きが多いだろうが、本作はあれほどの高踏的な芸術性は無い代わりに、人間が誰しも持ち合わせるプリミディヴな部分にコミットしてくる。まさしく料理とは、言葉や理屈を通さずに相手の感情に直接触れる思いそのものなのだろう。
革命軍や幽霊といった、まさしく浮き世離れしたモチーフが次々と出てくるにも関わらず、少しも違和感を覚えないのは、優れた料理が非日常を現出させるほどに形而上的な存在であることを押さえているためだと思われる。
アルフォンソ・アラウの演出は奇態な題材を扱ってはいるわりにはオーソドックスで、映画が空中分解することはない。エマニュエル・ルベツキのカメラによる映像は、オレンジ色を基調にした独特の美しさを実現している。ティタ役のルミ・カヴァソスは好演。彼女は本作で第5回東京国際映画祭において主演女優賞を受賞している。