(原題:Amazing Grace and Chuck )87年作品。呆れるほどの御都合主義に貫かれた映画だ。しかし、観終わると感動してしまう。なぜなら、ここで描かれる“理想”の形は、正しいからだ。もちろん、あるべき姿ばかりを真正面から映しても芸が無い。だが、確信犯的にそれに徹してしまうと、本作のように時として大きなうねりになって観る者に届くのだ。これだから映画は面白い。
モンタナ州リビングストンに住む少年チャックは、リトルリーグで活躍するピッチャーだった。ある日、チャックは仲間と近くにある核ミサイルのサイロを見学する。そこで核兵器の恐ろしさを実感した彼は、リーグ決勝戦の日に“核兵器が地上から無くなるまで、好きな野球をやめる”と宣言した。このことは新聞に載るが、プロバスケットのスター選手アメイジングはチャックの意見に賛同。彼も核廃絶の日までプレイをしない決心をする。
空軍予備パイロットであるチャックの父親は、息子にバカことは辞めろと言うが、チャックの決心は固い。やがて彼の主張は世界に広まって、有名スポーツ選出が次々とプレイ辞退を申し出る。大統領も無視出来ず、チャックをホワイトハウスに呼んで説得するが不調に終わる。一方、軍需産業の黒幕ジェフリーズは、このムーヴメントを潰すべく暗躍し始める。
まず、いくらファンタジー仕立てでも説得力の無い筋立ては如何なものかと誰しも思うだろう。核兵器を廃絶するとして、その具体的な処理はどうするのか。テロリストに核が渡ったらどう対処するのか。核兵器が無くなることによって、却って戦争のハードルが低くなるのではないかetc.しかし、マイク・ニューウェルの演出はそんな“揚げ足取り”を完全に黙殺するかのように、正攻法にドラマを構築する。
大統領に扮しているのがグレゴリー・ペックというのが効いていて、この名優がマジメに役に臨むのならば、細かいことを気にせずに映画に向き合おうという気になってくる。そしてラストの盛り上がりに至っては、もう“参った”と言うしかない。
チャックを演じるジョシュア・ゼルキーは達者な子役だと思うが、ジェイミー・リー・カーティスが面白い(?)役で出ているのは興味深かった。ロバート・エルスウィットによる撮影と、エルマー・バーンスタインの音楽も、まあ立派なものだ。
モンタナ州リビングストンに住む少年チャックは、リトルリーグで活躍するピッチャーだった。ある日、チャックは仲間と近くにある核ミサイルのサイロを見学する。そこで核兵器の恐ろしさを実感した彼は、リーグ決勝戦の日に“核兵器が地上から無くなるまで、好きな野球をやめる”と宣言した。このことは新聞に載るが、プロバスケットのスター選手アメイジングはチャックの意見に賛同。彼も核廃絶の日までプレイをしない決心をする。
空軍予備パイロットであるチャックの父親は、息子にバカことは辞めろと言うが、チャックの決心は固い。やがて彼の主張は世界に広まって、有名スポーツ選出が次々とプレイ辞退を申し出る。大統領も無視出来ず、チャックをホワイトハウスに呼んで説得するが不調に終わる。一方、軍需産業の黒幕ジェフリーズは、このムーヴメントを潰すべく暗躍し始める。
まず、いくらファンタジー仕立てでも説得力の無い筋立ては如何なものかと誰しも思うだろう。核兵器を廃絶するとして、その具体的な処理はどうするのか。テロリストに核が渡ったらどう対処するのか。核兵器が無くなることによって、却って戦争のハードルが低くなるのではないかetc.しかし、マイク・ニューウェルの演出はそんな“揚げ足取り”を完全に黙殺するかのように、正攻法にドラマを構築する。
大統領に扮しているのがグレゴリー・ペックというのが効いていて、この名優がマジメに役に臨むのならば、細かいことを気にせずに映画に向き合おうという気になってくる。そしてラストの盛り上がりに至っては、もう“参った”と言うしかない。
チャックを演じるジョシュア・ゼルキーは達者な子役だと思うが、ジェイミー・リー・カーティスが面白い(?)役で出ているのは興味深かった。ロバート・エルスウィットによる撮影と、エルマー・バーンスタインの音楽も、まあ立派なものだ。