(原題:AFTER HOURS )85年作品。マーティン・スコセッシ監督作としてはかなりの異色作だと思う。もしかするとキャストに名を連ねているチーチ&チョンのテイストが入っているのかもしれないが、観ていて面白いことは間違いない。ちなみにスコセッシは本作で第39回カンヌ国際映画祭において監督賞を獲得している。
ニューヨークの“山の手”に住むコンピューター・プログラマーのポールは仕事を終えて喫茶店で本を読んでいると、若い女マーシーが声を掛けてくる。彼女と電話番号を交換してゴキゲンになるが、その後乗ったタクシーの運転が乱暴であったため紙幣が窓から飛んで行ってしまう。それでもマーシーのアパートにたどり着くが、同じ部屋に住んでいた美術家のキキのエキセントリックさに耐えられず逃げ出す。
地下鉄で帰ろうとしたら小銭が足りない。どしゃ降りの雨の中、入ったバーのバーテンダーのトムから金を借りることになり、レジの鍵をトムの家に取りに行ったところ、偶然にキキの彫刻を盗もうとする2人組と出くわしてしまう。こうしてポールは悪夢のようなトラブルの連鎖にはまり込んでゆく。
主人公が巻き込まれる“じれったさの泥沼(?)”の描写は秀逸だ。マーシーの電話番号をメモしようとすると、ボールペンのインクが切れているのを皮切りに、電話が掛けられない、地下鉄に乗れない、タクシーではひどい目に遭う、頼りの店は閉まっているetc.すべてが裏目裏目に出て、もがくほどに深みにハマってゆく。これはなかなかのスペクタクルだ。
しかし、映画が進むに連れて“どうオチを付けるのだ”という疑念が頭をもたげてくる。話が空中分解してそれでオシマイというのは、いくら何でも無責任ではないか・・・・という心配が大きくなると、作者は終盤で“大技”を持ってくる。何度も登場するムンク風のオブジェが伏線になり、ポールはとうとう究極的なドン詰まりの状態に置かれてしまうのだ。それに続く結末は、ニューヨーカーの一見順調な生活の裏にある実相を活写して圧巻である。
主演のグリフィン・ダンが実に印象深い。ほとんど彼の一人舞台だが、スコセッシの期待を裏切らない快演である。ロザンナ・アークエットにテリー・ガー、リンダ・フィオレンティーノ、ジョン・ハードといった脇の顔ぶれも濃い。ミハエル・バルハウスのカメラとハワード・ショアの音楽も言うことなしだ。