この前上京した際、時間が空いたので映画でも観ようかと思ったのだが、東京もミニシアターの閉館が相次いでいるせいか、上映している作品は福岡でも封切られているものが多い。仕方なく神保町シアターで古い日本映画を観ることにした。それが昭和40年に松竹が製作したこの映画だ。
有名な川端康成の小説の映像作品としては昭和32年に豊田四郎監督が手掛けた東宝版(私は未見)がよく知られているが、それに対してこの大庭秀雄監督による映画はイマイチ地味な評価であるらしい。実際作品に接してみると、その理由がよく分かるような、何ともパッとしない出来であった。
東京に住む翻訳家の島村が雪深い温泉町で出会った駒子と、ゆきずりの恋を交わす・・・・という話は誰でも知っているので粗筋は省略するが、本作ではどう見ても、映画が“身勝手な男と幸薄い女とのアバンチュール”といった下世話な次元に留め置かれていて、燃え立つような情念も屈折した欲望も描けていない。観ていて全然ワクワクしないのだ。
単に“脚本通りやりました”といった感じでストーリーを平板に追うのみである。島村の過剰なモノローグも鼻につき、中盤以降はどうでもよくなってくる。撮影に成島東一郎、音楽は山本直純という大御所を起用しているにもかかわらず、ほとんど印象に残らない。
演出が冴えないせいか、主役の木村功がとてつもなく大根に見えてしまうのも痛い。ただ、駒子役の岩下志麻と葉子に扮した加賀まりこは実に魅力的だ。彼女達のプロモーション・フィルムとして観れば、そこそこ楽しめるのかもしれない。置屋のお内儀を演じた清川虹子も絶妙のコメディ・リリーフだ。
そういえば昔、片岡義男による「雪国」のパロディで「新・雪国」というのを読んだことがあるが、今映画化するとしたらそっちの方が面白くなるかもしれない(笑)。
有名な川端康成の小説の映像作品としては昭和32年に豊田四郎監督が手掛けた東宝版(私は未見)がよく知られているが、それに対してこの大庭秀雄監督による映画はイマイチ地味な評価であるらしい。実際作品に接してみると、その理由がよく分かるような、何ともパッとしない出来であった。
東京に住む翻訳家の島村が雪深い温泉町で出会った駒子と、ゆきずりの恋を交わす・・・・という話は誰でも知っているので粗筋は省略するが、本作ではどう見ても、映画が“身勝手な男と幸薄い女とのアバンチュール”といった下世話な次元に留め置かれていて、燃え立つような情念も屈折した欲望も描けていない。観ていて全然ワクワクしないのだ。
単に“脚本通りやりました”といった感じでストーリーを平板に追うのみである。島村の過剰なモノローグも鼻につき、中盤以降はどうでもよくなってくる。撮影に成島東一郎、音楽は山本直純という大御所を起用しているにもかかわらず、ほとんど印象に残らない。
演出が冴えないせいか、主役の木村功がとてつもなく大根に見えてしまうのも痛い。ただ、駒子役の岩下志麻と葉子に扮した加賀まりこは実に魅力的だ。彼女達のプロモーション・フィルムとして観れば、そこそこ楽しめるのかもしれない。置屋のお内儀を演じた清川虹子も絶妙のコメディ・リリーフだ。
そういえば昔、片岡義男による「雪国」のパロディで「新・雪国」というのを読んだことがあるが、今映画化するとしたらそっちの方が面白くなるかもしれない(笑)。