(英題:PASSAGE OF LIFE )アジアフォーカス福岡国際映画祭2018出品作品。厳しい映画だ。主人公達の立場や言動に対して、自己責任であると断じて片付けてしまうのは容易い。しかし、理屈で割り切れないまま、望まない境遇に追いやられる人間も少なからず存在するという事実は、知っておいた方が良い。
東京の小さなアパート暮らすアイセとケインの夫婦、そして2人の幼い息子は、政情不安だったミャンマーから逃れてきた。アイセは何度も役所に難民申請をするが、受け付けてもらえない。挙句の果ては入国管理局に拘束され、何日も家を空けることもある。妻のケインは何とか1人で家族を支えていたが、ストレスが溜まって睡眠不足に陥っている。
限界に達した彼女は、夫を置いて帰国することを宣言。2人の子供を連れてヤンゴンの空港に降り立つ。だが、息子たちはミャンマー生まれとはいえ日本で過ごした時間の方が圧倒的に多く、日本語しかしゃべれない。特に長男カウンが抱える屈託は深刻で、ある日ついに家出してしまう。
この一家は決して“命からがら本国から脱出してきた”という境遇ではない。ヤンゴンにある実家は東京での住処に比べれば遙かに広く、親族も健在だ。また半世紀余に及んだ軍事政権は終わっている。これではアイセがいくら主張しても、難民として認められないのは当然だろう。さらに2人の息子は、両親からミャンマー語を十分教えてもらっていない。
だから彼らが置かれている状況はある意味“自業自得”とも言えるのだが、もちろん事態はそんな簡単に割り切れるものではない。自国の将来が不透明で、生活基盤が失われると少しでも感じたのならば、日本のような平和な国に移り住みたいと思う人間は多くなることは当然だ。本作で描かれる一家のようなケースは今後どんどん増える。ならば我々はそれにどう対峙してゆくのか・・・・この映画が提示する問いはあまりにも重い。
演技経験のないミャンマーの人々を多数起用して物語を組み立てる藤元明緒の演出は、見上げたものだ。特にたった一人で空港を目指してヤンゴンの雑踏を歩くカウンを描くパートは、サスペンス風味が利いている。2017年の東京国際映画祭アジアの未来部門で、日本人監督初となるグランプリと監督賞をダブル受賞。観る価値はある。