昭和10年日活作品。若くして戦地で散った伝説の映画監督・山中貞雄の(フィルム断片を除いた)現存している3本の作品の中の一つ。素晴らしく面白い。この映画が作られれてかなりの年月が経過しているが、その間に果たして娯楽映画は進歩したのだろうかと、本気で思ってしまうほどだ。
江戸享保年間、大和柳生藩の藩主である柳生対馬守は、家に代々伝わる“こけ猿の壷”が百万両のありかを示したものだと知らされるが、壷はすでに弟源三郎の婿養子の引き出物として譲ってしまっていた。柳生家の家臣たちは秘密を知られずに取り戻そうとするが、源三郎の妻は“こんな汚い茶壺には用は無い”とばかりに屑屋に売り払っていた。その壺を偶然手に入れたのが、矢場の居候である丹下左膳。壺をめぐって左膳や源三郎、ほかに左膳と親しい矢場の女将・お藤や、矢場に転がり込む少年・安吉らの人間模様が描かれる。
通常の「丹下左膳」シリーズの続編というか、セルフ・パロディだが、ニヒルな剣豪を家庭人にしてしまったアイデアが出色。大胆な作劇の省略法で、92分の上映時間の中に多くのエピソードを盛り込んでいながら、全くドラマが破綻しない。二転三転する巧みな脚本といい、キャラクターの立ち具合といい、ギャグの振り方といい、文句のつけようがないほど良く出来ている。招き猫をはじめとする小道具、ムソルグスキーの「禿山の一夜」などのクラシック音楽の採用、仕掛けにも抜かりは無い。
左膳役は大河内傳次郎で、飄々とした雰囲気や身の軽さは、好人物としての魅力を印象付ける。お藤に扮する喜代三も実に良い味を出しており、左膳とのやり取りは夫婦のような佇まいを感じさせる。沢村国太郎や山本礼三郎、阪東勝太郎といった脇のキャストも申し分ない。子供役の宗春太郎は、後年「鞍馬天狗」(嵐寛寿郎主演版)で杉作を演じる。
なお、私は本作を福岡市博多区中洲にあったシネ・リーブル博多のクロージング上映で鑑賞した。この劇場はわずか2年で営業を終えてしまったが、市内のスクリーン数が減っている昨今、今でも存続していればと思わずにはいられない。
江戸享保年間、大和柳生藩の藩主である柳生対馬守は、家に代々伝わる“こけ猿の壷”が百万両のありかを示したものだと知らされるが、壷はすでに弟源三郎の婿養子の引き出物として譲ってしまっていた。柳生家の家臣たちは秘密を知られずに取り戻そうとするが、源三郎の妻は“こんな汚い茶壺には用は無い”とばかりに屑屋に売り払っていた。その壺を偶然手に入れたのが、矢場の居候である丹下左膳。壺をめぐって左膳や源三郎、ほかに左膳と親しい矢場の女将・お藤や、矢場に転がり込む少年・安吉らの人間模様が描かれる。
通常の「丹下左膳」シリーズの続編というか、セルフ・パロディだが、ニヒルな剣豪を家庭人にしてしまったアイデアが出色。大胆な作劇の省略法で、92分の上映時間の中に多くのエピソードを盛り込んでいながら、全くドラマが破綻しない。二転三転する巧みな脚本といい、キャラクターの立ち具合といい、ギャグの振り方といい、文句のつけようがないほど良く出来ている。招き猫をはじめとする小道具、ムソルグスキーの「禿山の一夜」などのクラシック音楽の採用、仕掛けにも抜かりは無い。
左膳役は大河内傳次郎で、飄々とした雰囲気や身の軽さは、好人物としての魅力を印象付ける。お藤に扮する喜代三も実に良い味を出しており、左膳とのやり取りは夫婦のような佇まいを感じさせる。沢村国太郎や山本礼三郎、阪東勝太郎といった脇のキャストも申し分ない。子供役の宗春太郎は、後年「鞍馬天狗」(嵐寛寿郎主演版)で杉作を演じる。
なお、私は本作を福岡市博多区中洲にあったシネ・リーブル博多のクロージング上映で鑑賞した。この劇場はわずか2年で営業を終えてしまったが、市内のスクリーン数が減っている昨今、今でも存続していればと思わずにはいられない。