通常、ある程度映画を見慣れている観客ならば、開巻約10分間で映画の出来不出来は分かるだろう。もちろん、序盤は良いが途中で息切れする作品もけっこうあるが、その逆の“最初は話にならないが、中盤以降で盛り返す映画”なんてのはめったにない。ところが、本作はその“めったにない”パターンが現出しており、とても興味を覚えた。
主人公の良香は、20代半ばになっても恋愛経験が無い冴えないOL。だが、中学生の頃の同級生・一宮(通称イチ)のことが忘れられず、今でも彼を心の中で“召喚”して疑似恋愛を楽しんでいる。そんな彼女がある日突然、同じ会社に勤める霧島(通称ニ)に告白される。思いがけない展開に一時は有頂天になる良香だが、調子のいいニはスマートで二枚目だったイチと比べると見劣りしているように思い、こうなればイチと実際に会うしかないと勝手に合点する。そこで彼女は汚い手を使って同窓会を企画。見事に成功してイチは会に顔を出し、ついでに別の有志での集まりの参加まで取り付ける。いよいよイチとの距離を縮めることになり心躍らせる良香だが、思わぬ結末が待っていた。
良香が勤務する会社は玩具メーカーのようだが、その有り様は信じられないほどアナクロだ(まるで昭和50年代)。彼女がモノローグのように周囲の者たちに話しかけ、それでいて相手の話を全く聞かない自分本位の振る舞いには辟易する。また、すでに絶滅した動物に対して異常な執着を見せ、アンモナイトの巨大な化石まで通販で入手するという変人ぶりには、正直“引く”しかない。
彼女を取り巻く(ニと同僚の来留美を除いた)人々もフワフワとして実体感が無く、これはオタク女子のお花畑みたいな内面が最初から表出されているだけの軽佻浮薄なシャシンだと思い、正直なところ途中退場したくなった。ところがラスト約40分の時点に差し掛かると、映画はそれまでの設定をひっくり返すようなコペルニクス的転回(?)を見せる。
ひょっとしたら勘の良い観客ならば察しが付くのかもしれないが、その“転換点”をミュージカルシーンによって表現するという観る者の予想の斜め上を行くアイデアには、驚嘆するしかない。
全ての虚飾を剥ぎ取られた先にあるものは、ヒロインの内面に鋭く切り込む正攻法の人間ドラマだ。非現実的な空想だけでは人は生きていけない。目の前にいる他者とのリアルなやり取りによって成長していくのだという、ヘタすれば教条主義的な臭みを伴うテーマの提示が自然に無理なく達成されている。ポップでいて実は堅調な監督の大九明子の手腕は侮れない。
初主演の松岡茉優のパフォーマンスには目を見張るものがあり、今回は実年齢よりも上の役柄を等身大に演じきっている。渡辺大知や石橋杏奈、北村匠海などの若手から、古舘寛治や片桐はいり、稲川実代子などのベテランに至るまで、皆イイ味を出している。原作になった綿矢りさによる同名小説は未読だが、チェックしてみたくなった。