(原題:THE MAURITANIAN )とても重大なネタを扱っていることは分かるのだが、盛り上がりに欠け、映画的興趣は乏しい。どうも見せ方を間違えているような作品だ。観客を楽しませるようなモチーフはけっこう揃っているのだから、もっと(良い意味での)ケレンを駆使して欲しかった。
2001年11月、モーリタニア人青年モハメドゥ・ウルド・スラヒは突然現地警察に連行され、そのまま米国政府に送られてキューバのグアンタナモ湾収容キャンプに収監される。同時多発テロの容疑者たちと深く関与したとの疑いだ。しかし、明確な物的証拠は無い。アメリカ当局は彼を自白させるべく、厳しい取り調べを敢行する。一方、ニューメキシコ州アルバカーキの弁護士ナンシー・ホランダーは、人権団体からモハメドゥの弁護を依頼される。
ナンシーは部下のテリー・ダンカンと共に現地に飛ぶが、グアンタナモでの苛烈な環境に驚くばかりであった。彼女と対峙するのは、海兵隊検事のスチュアート・カウチ中佐だ。彼は友人をテロで殺され、何としてもモハメドゥを起訴に追い込もうとする。モハメドゥ自身の手記の映画化だ。
ナンシーたちは政府にモハメドゥの供述調書の開示を要求するが、提出された記録文書は大半が黒塗りで消されており役に立たない。そして諦めない弁護団と政府当局との虚々実々が展開する・・・・という流れには、残念ながらならない。彼らは黙々と仕事に励むだけだ。カウチ中佐とのバトルもあるのかと思ったら空振りで、彼は早々に政府の欺瞞に気付いて距離を置くようになる。
ならばモハメドゥが体験するシビアな状況がリアルに描かれるのかと予想すると、なぜかこれが生温いのだ。拷問場面は確かに当事者にとっては辛いものだろうが、端から見れば“珍妙”でさえある。終盤はもちろん裁判のシーンになるものの、扱い方は不自然に淡白で肩透かしを食らう。監督のケヴィン・マクドナルドはドキュメンタリー畑の出身であるせいか、事実を要領よく紹介する手順には長けてはいるが、劇映画としての“華”には欠ける。
ナンシーに扮しているのはジョディ・フォスターで、実在の人物に“寄せた”ような外観にはびっくりするが、ひどく老けたように見えるのは何とも言えない。カウチ中佐役のベネディクト・カンバーバッチは手堅いが、いつものような凄味は控え目だ。タハール・ラヒムにザカリー・リーバイ、シャイリーン・ウッドリーといった他の面子は可も無く不可も無しである。
2001年11月、モーリタニア人青年モハメドゥ・ウルド・スラヒは突然現地警察に連行され、そのまま米国政府に送られてキューバのグアンタナモ湾収容キャンプに収監される。同時多発テロの容疑者たちと深く関与したとの疑いだ。しかし、明確な物的証拠は無い。アメリカ当局は彼を自白させるべく、厳しい取り調べを敢行する。一方、ニューメキシコ州アルバカーキの弁護士ナンシー・ホランダーは、人権団体からモハメドゥの弁護を依頼される。
ナンシーは部下のテリー・ダンカンと共に現地に飛ぶが、グアンタナモでの苛烈な環境に驚くばかりであった。彼女と対峙するのは、海兵隊検事のスチュアート・カウチ中佐だ。彼は友人をテロで殺され、何としてもモハメドゥを起訴に追い込もうとする。モハメドゥ自身の手記の映画化だ。
ナンシーたちは政府にモハメドゥの供述調書の開示を要求するが、提出された記録文書は大半が黒塗りで消されており役に立たない。そして諦めない弁護団と政府当局との虚々実々が展開する・・・・という流れには、残念ながらならない。彼らは黙々と仕事に励むだけだ。カウチ中佐とのバトルもあるのかと思ったら空振りで、彼は早々に政府の欺瞞に気付いて距離を置くようになる。
ならばモハメドゥが体験するシビアな状況がリアルに描かれるのかと予想すると、なぜかこれが生温いのだ。拷問場面は確かに当事者にとっては辛いものだろうが、端から見れば“珍妙”でさえある。終盤はもちろん裁判のシーンになるものの、扱い方は不自然に淡白で肩透かしを食らう。監督のケヴィン・マクドナルドはドキュメンタリー畑の出身であるせいか、事実を要領よく紹介する手順には長けてはいるが、劇映画としての“華”には欠ける。
ナンシーに扮しているのはジョディ・フォスターで、実在の人物に“寄せた”ような外観にはびっくりするが、ひどく老けたように見えるのは何とも言えない。カウチ中佐役のベネディクト・カンバーバッチは手堅いが、いつものような凄味は控え目だ。タハール・ラヒムにザカリー・リーバイ、シャイリーン・ウッドリーといった他の面子は可も無く不可も無しである。